
Bessa R3A + Nokton 35mm f1.2 Aspherical
昔から「カタチ」が残るものが好きだった。
工作や絵とかが好きで、20歳くらいまでは絵ばかりを描いていたと思う。
そうこうしているうちに、やがて絵は写真に取って代わり、20代は写真ばかりを撮っていたと思う。
絵にしても写真にしてもグラフィックデザインにしても、取り組むことはやはり「カタチ」に残るものばかりだった。
「カタチ」には残らない音楽を聴くのは好きだった。
けれど、それに取り組んだことは無い。自分に楽器の才能がないのは小学生の授業で十分に知っていたし「カタチ」の残らないものに時間を費やすのが嫌いで、極端に言うとそこへの努力は自分の中で無駄なものと同一という認識になっていた。
でも、「カタチ」に残らないだけで、最近は「カタチ」のあるものよりずっと心に響くものなんだって感じることが出来た。薄々は気が付いていたんだけれども、やっぱり「カタチ」がないことでこそ人を惹きつける強さがあるのだと。
真面目に撮った写真を見てバカ笑いする人って居ないよね。幸せな気持ちにさせられる写真はあっても、仲間と肩組んだり笑ったりすることって写真では撮る時にはあっても撮った後には無い。「カタチ」になってしまった後では遅いんだ。
だから今は「カタチ」の残らないものの強さも手に入れたいと思った。
「カタチ」に残るものの強さ、「カタチ」に残らないものの強さ。
昨日、半衝動的に「ウクレレ」を買ってきた。
「カタチ」に残らない強さに触れるため。
ウクレレは写真の子たちと一緒に練習をする予定。独りでやるとすぐに挫折してしまいそうだけど、可愛い人達と練習すれば続けられる気がする。緑色の酒瓶を二人で見つめあって笑いあえるなんて、大人なのに子供みたいな心を持っていて可愛いよね。